独立開業することを決意した話 

独立前の話からしようと思う。
松沢が西新宿「Bar BenFiddich」で働き始めたのが2015年、21歳の時。若ェー。
師である鹿山さんに

「長すぎると変な慣れが出てきてしまう、当然短くても身につかない。【3年】だね」

と、入店当初から退職時期を伝えられていた。石の上にも三年というだけあって、やはり3年というのはとても良い数字だ。

いざ働いてみるとあっという間だった。


2人で営業していた頃のBenFiddich。忙しいながらも楽しかった。



一年半ほど経過したあたりで

「もう折り返しか…」

と考えていた。そんな矢先「2店舗目を出そうと思う」と言われた。

えっマジか

メディアに取り上げられる頻度も上がり、お店のキャパを超える来店が続いているある日のことだった。

当時まだ2人だった上に「店舗展開は考えていない。自分の目の届く範囲が理想だ。」と聞いていたので驚いた。2店舗目をやると決意した理由は松沢を始め、若いバーテンダーの育成を視野に入れたものだった。師のブログに詳細が記載してあるので是非一読を。松沢感動。

「二店舗目を出すということ」
「師匠と弟子」

そしてオープンしたのが「Bar B&F」だ。フルーツブランデー専門バー。ニッチすぎる。

これはおそらく誰も知らない話なのだが、路線をフルーツブランデーにすると決める前は、直前までジン専門のバーにしようという話も上がっていた。
BenFiddichはご存知の通り薬草酒専門だ。ジンも薬草酒の一種であるとすれば、商材が被ってしまう。それにジンを専門でやっているお店は既出でもあった。

やるならとことん尖っていこうぜ!ってことで師の中で急騰していたフルーツブランデー専門で行くことが決定したのだ。

当時まだスタッフもいなかったため、松沢が店長に抜擢。
(3年と決まっていた勤務期間もこの時に1年延長となった。)

プレッシャーとんでもないし、フルーツブランデーの知識は皆無だし、ググっても情報全然出てこんしなんだこのジャンルは…。日々海外サイトを巡り、Google翻訳に助けて貰い少しずつ知識を蓄えていった。


Bar B&Fオープン。RPGの酒場の様な店で結構好き。いや、かなり好き。




フランスのオードヴィーを始め、東欧のラキヤやチュニジアのブッハ、ボリビアのシンガニなど世界中のフルーツブランデーを扱うようになった中で特に松沢の気を引いたものがある。

パーリンカだ。

そう、これがパーリンカとの出会いだ。
何故数ある中でパーリンカなのかと問われると難しい…名前が可愛いからってことにしておこう。なんかこう、可愛いじゃん?
名前も可愛いし実際ものすごく美味しいのに日本においての知名度が低い…低すぎる…ていうか買えない…

「( 'ω')せや!日本でパーリンカを全力で普及したろ!」


ちょっとした“野望“だ。向こう3年か5年か、そのくらいで「バーに行けばパーリンカがあって当たり前」というくらいに知名度を上げようと誓った。とりあえずビールくらいのノリでとりあえずパーリンカ、みたいな感じ。


オープン一年目の秋頃にハンガリーへ海外研修(兼仕入れ)へも行った。
そのちょっと前に鹿山師が一足先にハンガリーへ訪れていたのだが、その際にパーリンカ騎士団に加入したという話を聞いた。えっ何それかっこいい入りたい。

何人もの方に手助けをいただき、松沢も騎士団への加入を依頼した。
しかし最初は断られてしまった。そう気安く入れるものではないらしい。
この時はまだ知らなかったのだがこのパーリンカ騎士団、ハンガリー政府の管轄で非常に厳格な団体なのだ。当然松沢は諦めず、自分の熱意を団長へ伝えた。

「もし騎士団に入れなかったとしてもパーリンカの普及には全力を尽くす。もし入れたらそのモチベーションはもっと高まるのでぜひ入りたい」といった感じのことを伝えた。

あまりハンガリー国外の人間の加入は認めていないらしいのだが例外として加入することを許された。まさか人生で騎士になることになるなんて…

中学生の自分に教えたら右手が疼くだけでなく、おそらく左目が碧くなり、大気が震え、高笑いしただろう。くくく…厨二心が刺激されるぜ…

などとふざけてる場合ではなく、これからも継続して、いや今まで以上にパーリンカのことを発信、発展させていこうと決意した。2017年末だ。


叙任式。肩に剣を当て、宣誓をし無事騎士になる。この時すでにパーリンカを数え切れないほど飲んでいて結構酔ってる。


年は明けて2018年。「今年までだね。次のステップ考えておいてね。」と言われ、先のことを考えることになる。ここまで真剣に将来について考えたのは中学三年生の時の「将来の夢」についての作文発表の参観日以来かもしれない。右手が疼いてる場合ではない。
ありがたいことに師の知名度もあり、次のステップは色々な選択肢があった。海外から声がかかっていたことも今なら言える。とはいえまだ24歳。まだまだ経験は浅く、知識も偏っている。ミクソロジーに特化したお店だけでなく、いわゆる“銀座のオーセンティック“なお店でイチから修行しようと思ったこともあった。

半年以上悩んだ末に【独立】という道を選んだ。簡単な話ではない。リスクも大きい。しかし“野望“を実現させるためにはこれしかない、と思った。

次回独立の具体的な話

 

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